仕事で仙台に行ってきました。
ポリタンク、ウエットティッシュ、食糧・水、そして、店舗再開のための掃除道具を運びます。
緊急車両ではあるんですが、どの程度給油できるのか非常に心配の中、
総勢7台で20時に出発です。
●佐野SA到着。こまめに給油します。理屈ではこのまま給油なしで仙台に到着できるので一安心。
●那須塩原付近通過。ここまでは路面も問題なく順調。
●阿武隈付近通過。道路の段差が激しくなってきます。
路肩が崩れているのがハッキリわかります。
赤色のコーンとフラッシュライトが段差の目印になっています。
●福島付近通過。ラジオでは町ごとの放射線量の値を放送しています。
暗くてよく路面の段差がわかりませんが、衝撃がかなりなもの。
危険なので80キロ未満でゆっくり進みます。
●国見SA到着。午前1時です。
トラックが満車状態。給油も済ませ、ほぼ満タンで到着できそうです。
仮眠することにしました。が、寒くて寝られません。
外は雪。氷点下3度です。
ここまでは、SAの店舗が営業していて、そば・うどん・カレーの類を提供してました。
●菅生SA到着。仙台まであと20キロ。途中蔵王付近で激しい雪に見舞われます。
ガソリンスタンドは上り・下りとも200mくらい渋滞しています。
SA内の店舗は営業していませんでした。
●仙台市内の目的地到着。午前8時。
現地のスタッフに荷物を渡し、ひとまずミッション完了。
●市内ではライフラインのうち、ガスがまだで、フロに入れない状態とのことです。
コンビニは閉店中。
ガソリンスタンドの待ち行列が目立ちました。
以上、備忘録でした。
阪神淡路の時は、悲惨な災害も、復興が日に日に進んでいきました。
しかし、今回異なるのは、原発。
日に日に進む復興と、逆の方向に進まないことを祈ります。
みなまで語りませんが、現地は紙面の伝えるとおりの悲惨な状況。
このまま帰っていいものか、現地にとどまり手伝ったほうがいいのではないか。
と複雑な心境のまま、高速バスで帰ってきました。
ちょっと疲れました。
が、「復興のためにできること」を自分なりにコツコツとやるしかないですね。
3月21日(月) 7キロ キロ6'00" 【今月213キロ】
3月22日(火) 10キロ キロ5'30" 【今月223キロ】
3月23日(水) 10キロ キロ5'30" 【今月233キロ】
3月24日(木) 休
3月25日(金) 休
3月26日(土) 10キロ キロ5'30" 【今月243キロ】